オーストラリアの首都キャンベラにある戦争記念館。第一次世界大戦の開戦からから第二次世界大戦の終戦まで様々な戦争の備品や情報を見ることができる戦争記念館。
オーストラリアの目線で、日本とはまた違った観点から先の大戦について知る為に行って参りました。
オーストラリア戦争記念館の住所はこちら

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キャンベラにある戦争記念館 / Australia War Memorial へ

第一次〜二次世界大戦について、小中高と色々学んだ記憶がありますが、オーストラリアではどのような捉えられ方をして、教育されているのか、記念館では日本軍はどんな言われ方をしてるのか?
こういう所に行けばすぐ分かりますね。興味津々で中に入ったのでした。
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出迎えてくれた沢山の戦闘機や武器

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こんな巨大な爆弾が空から降ってきてたのか、と考えると背筋がゾッとしますね・・・・
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戦争記念館って独特の雰囲気で、なんか緊張する。
そして、遂に第二次世界大戦コーナーへ。
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ここからが個人的興味のある第二次世界大戦エリアへ

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突如現れた「旭日旗」と沢山の「日の丸」

まあ、第二次世界大戦の話になると、日本軍は話の中心になってきますね。
さて、どのように、どんなものが展示されているのかワクワクしながら見てました。
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ちなみに、この場所は少し前にニュースでも話題になった、
旭日旗を踏ませて入場させる場所です。
2015年現在はありませんでしたが、このような屈辱的な事が他国であったことについてはショックです。
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過去の大戦で何百万人もの日本人が日本国を守るために命を落としていったのに、こんなところでその当時の軍旗を踏ませるなんて、ホンマにどうかしてるぜ!!
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Australia under threat /オーストラリアは恐怖に晒された

実際に、日本軍はシドニーとダーウィンを攻撃した記録が残っていて、オーストラリアも日本軍の脅威に晒されていました。
そりゃ、あんな勢いで東南アジアの植民地支配を解放して、ガンガン侵略していっていた日本軍は恐怖だったでしょう。
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▲上の写真は日本軍のプリズンキャンプのあった場所。
要は敵兵を捉えて、収監していた場所。
アンジェリーナ ジョリーが監督として制作した映画、Unbroken /アンブロークンでもいろいろ物議を醸したように、
戦争時には、敵兵を収監するプリズンがありました。上の写真を見ると、こんなにあったのかと!
もうオーストラリアまで、あと少しのトコまで来ていたんです。
そりゃー、オーストラリアもただ事じゃないね。
▽ 映画  Unbroken
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そして、終戦へ。
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これから行かれる方にもお楽しみを残しておいた方がいいので、全てをご紹介はしませんが、第二次世界大戦の展示から、正直周りにいるオーストラリア人、遠足で来ている小学生の子ども達と目を合わせることができませんでした。
「日本軍が凄く残酷な方法で大量に現地民を・・・・・・・」
「オーストラリアも被害を・・・・」
とか先生が小学生に話しているのを聞くと・・・・正直、心が痛かった。

最後に個人的な意見を少し。

戦争は勿論、幸を生むことはありません。一部のビジネスマンに対しての恩恵があるだけで、悲惨な被害と、ただの人の殺しです。この世界は「大きな経済的影響力を持つ一部の人間やロイヤルファミリー」が牛耳っています。
日本が戦争に向かったのも、「そうせざるを得ない状況」になった(させられた)からです。植民地政策を進めていた欧米が最後に引っかかった国(支配が及ばなかった)が「日本」なのです。
日本は戦争に負けることは分かっていました。でも戦いました。多くの日本人が日本を守る為に命を捨てましたし、犠牲になりました。
私たち日本人は、その上に立って生活しています。
こんな豊かな日本を作ってきたのは、間違いなく日本人であり、過去に戦争で殉職された沢山の日本軍兵士のお陰でもあります。

神風特攻隊ってご存知ですか?

神風特攻隊は日本の敗戦を目の前に、4,000名以上の日本の優秀な大学生くらいの若者達が、「天皇万歳」といって、戦闘機に爆弾を積んで敵船、空母に突っ込んでいきました。20歳くらいの若き将来のある日本人男子は、国を守るため、家族を守る為に自分を犠牲にしました。
アメリカなどの連合軍は、唯一予測できなかった日本軍の攻撃だったと。

航空母艦および巡洋艦各数隻を含む軍艦三十三隻沈没
運輸船五十七隻喪失、損傷をこうむった艦船二百二十三隻、戦死者一万二千二百六十人、負傷者三万三千七百六十九人(引用:ウィキペディア)

この攻撃の意味が分かりますか?日本人は黙って何もせず、のうのうと国を渡すような腰抜け人種ではないんだってこと。を後の時代に生きる日本人が笑われないように、先代達は命を捨ててでも「日本の威厳」「日本国」を守ろうとした。
知らない人はこちら、見てみて下さい。涙しますよ。

戦争の痛みは忘れてはいけません。再度、戦争について色々気付かされるキャンベラの戦争記念館でした。
今自分たちの海外での行動、言動は本当に彼ら先代が命をかけて守ってくれた「日本国」の日本人としての行いだろうか?
改め深く考えさせられる機会になった。